認知症と介護

視聴記録:NHKスペシャル「認知症の先輩が教えてくれたこと」

香川県にある三豊市立西香川病院は、認知症の専門医療を行う病院です。この病院には、認知症の人が、認知症の人の相談乗ってくれる相談室があります。認知症の先輩だからこそわかることを、相談者に伝えることで、相談者は共感と安心感を得ていく様子が描かれていました。

「認知症」と診断されると誰もが不安に襲われる

番組に出ていた認知症と診断された方やその家族がこの相談室で最初に訴えていたことは、大きなショックと「不安である」ということでした。

この先自分がどうなってしまうのか、家族のことも忘れてしまうのか、自分のこともができなくなってしまうのかと不安は尽きません。

65歳で認知症の診断を受けた高橋道夫さんの例

番組では、この病院を初めて訪れた高橋通夫さん(68歳)が診察を受けた時の様子が放送されていました。
医師の「何月何日ですか?」という質問に答えることが出来ず、「知っている野菜の名前をできるだけ多くおっしゃってください」という質問には「キャベツ・ニンニク」という2つの野菜の名前を言うのがやっとでした。

高橋さんは65歳でアルツハイマー型認知症の診断を受けていますが、発症年齢を考えると、若年性認知症の範囲に入るでしょう。第二の人生が始まったばかりの年齢です。診断を受けてからショックでふさぎ込み、認知症であるということを受け入れられずにいたそうです。

認知症の人が認知症の人の相談に乗る相談室

三豊市立西香川病院の認知症の相談室には、認知症当事者の渡邊さんが相談役として勤務していました。そのしっかりした口ぶりは健常者であるかのように感じさせますが、渡邊さんは脳血管性認知症と診断されてから6年がたつ認知症の先輩です。

相談役は78歳の認知症当事者(脳血管性認知症)

相談室を訪れた高橋さんの相談役は、認知症当事者である渡邊康平さん(78)です。6年前に脳血管性認知症の診断を受け、受け入れるまでに2年かかったといいます。渡邊さんは、高橋さんに、「できないものは、もういまさら言っても返ってこない。でも、できることの分で、自分の人生を作り直していけばいい」と伝えます。

しっかりとした言葉を話す渡邊さんを画面越しに見ていると、本当に認知症なのか?と感じるほどでした。しかし、カメラが映した日常の様子は、ポットと炊飯器の見分けが難しい渡邊さんの姿でした。徐々に進行する症状と日々向き合っているのです。

認知症の診断を受けた直後は、家の中にうずくまり、何も物を言わない大変なショック状態であったといいます。その状態から渡邊さんを救い出したのは妻の昌子さんだったそうです。昌子さんは、励ますでもなく、できないことを指摘するでもなく、ただ、散歩に誘ったのだそうです。そうやって外に出ることを続けていくうちに、心が前を向いていきました。

そして、相談室の相談役となった渡邊さんは、不安を訴える相談者たちに、「今でも不安は消えない」と話しながらも、ポジティブな言葉を掛けていました。

「楽しまなかったら何のために生きているかわからない」

渡邊さんは囲碁という認知症と診断される前からの趣味があります。認知症と診断されてからしばらく離れていましたが、認知症であることを周囲に伝えて囲碁を再開させました。最初は全然上手くできませんでしたが、しばらく続けると、以前の腕前を取り戻したのです。

「急に全部が失われるわけではない」、「自分のやりたいことはどんどんやったほうがいい」、「楽しまなかったら何のために生きているかわからない」、「できることが増えたら家族が喜んでくれる」。渡邊さんの口からでる前向きな言葉は、こういった自身の経験からだと感じられました。

渡邊さんの体験談と前向きな言葉は、高橋さんの心を動かしていきました。

綴った日記で自分の気持ちを知る

高橋さんは、その時自分が感じたことをノートに書き綴っていました。

認知症になってよかったこと
・妻の優しさにふれたこと
・人の痛みがわかったこと
・友人がふえたこと
いっぱいあるものだ

高橋さん自身は書いたことを忘れてましたが、確かにそう感じた瞬間があったことが記録されていたのです。

「認知症になった良かったこと」に気づくほどに前を向くことができるようになるのかと驚かされました。

認知症で行けなくなったテニスを再び始める

高橋さんは、相談室で勇気を得て、認知症と診断されてからできなくなっていたテニスを再び始めました。しかし、スコアを数えられなくなり、それを周囲に指摘されたことでやめてしまいます。
それに対して渡邊さんは、「僕は足し算はできんよ。それをみんな知っている」と、認知症であることを周囲に伝えることを進めます。
高橋さんは、通う場所を変え、周囲に認知症であることを伝えて、テニスを再開します。楽しそうにプレイしている様子が映されていました。

認知症は周囲に知られたくないもの

認知症になると、それを知られたくないと、言わずに隠してしまいます。しかし、そうなると、ミスをすることができなくなり、指摘されること、気づかれることが怖くなり、引きこもってしまいます。大切なのは周囲に伝え、理解してもらうことで、本人が安心できる環境を作ることなのです。

認知症と診断された人の家族の思い

この相談室を訪れ、相談するのは認知症と診断された本人ばかりではありません。本人と同じように不安と戸惑いと大きなショックの中で戦っている家族も相談に来ます。

当事者の夫・田中博さん(仮名)の場合

ある日相談室を訪れた田中博さん(仮名)と妻の洋子さん(仮名)。洋子さんが認知症と診断され、博さんはその言動や行動に悩んでいました。
昔は花が好きだったのに、外に出るのもおっくうになっていまったという洋子さん。「昨日はこれが出来たのに、今日はできないのか」と、日々の変化に戸惑っている様子の博さん。

テレビの取材が始まって3カ月がたったある日、洋子さんが美容院に行ったっきり帰らず行方不明に。警察に保護され、帰宅しましたが、少しすると本人はそのこと自体をすっかり忘れてしまいました。
「私はみんなに迷惑かけるようなことはしていない」
そう話す洋子さんは、博さんのほうがわかっていないと主張します。

再び相談室を訪れた博さんの相談相手は、渡邊さんの妻・昌子さん。
カーッとなって指摘してしまったり、言い合いになることがあるという博さんに、昌子さんは「怒鳴ったり起こったりすると、もっと進行するかもわからんよ」とアドバイスします。

頻繁にデイサービスに行きたいとこぼす洋子さんの思いとは

洋子さんはデイサービスに行きたがるようになります。

その思いとは、
・デイサービスの友達は自分の話を聞いてくれる
・つらいことを言える
・情けないことも言える
・夫には言えない
というものでした。

相談室に通い始めて1年がたつ頃、博さんは洋子さんの話に耳を傾けるようになっていました。
「介護の仕方が自分なりにわかってきた」と話す博さん。
以前のように怒鳴っていてはいけない。毎日のように辛いことが合ったら話していいと伝えている。
と、自分なりに洋子さんとの生活を受け入れてるように見えました。

認知症の人は、健常者よりずっと心が敏感である

認知症の人は、強い不安を感じています。
家族など周りの人が出来ないこと、忘れてしまったことを指摘すると、本人は不安をさらに大きくします。
多くの出来事を忘れてしまう中で、「嫌な気持になった」という感情は覚えていることも多く、それがまた不安を呼び込んでしまいます。嫌な気持ちになったときの相手に対する悪感情は残っていまいますから、イライラをぶつけてもいいことは何もありません。

日々不安と戸惑いと怖さの中で生きている認知症の人は、そういったやり取りの中で、常に周りを気にしてしまい、感情に敏感になってしまいます。

番組の中で、博さんは「普通の人の3倍も4倍も敏感」と話し、昌子さんは「ハートは最後まで残る」と言いました。どんなに記憶が失われても、相手の心を受け取り、何かを感じる力は残るのでしょう。
だからこそ、認知症の人本人のことを考え、寄り添う介護が必要なのだと感じた放送でした。