認知症と介護

視聴記録:ザ・ノンフィクション『ボクと父ちゃんの記憶~家族の思い出 別れの時~』

2021年10月17日(日)14:00~14:55にフジテレビで放送された、ザ・ノンフィクション『ボクと父ちゃんの記憶~家族の思い出 別れの時~』の視聴記録です。

50歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断

自然に囲まれた千葉県睦沢町で暮らす林一家。
林佳秀さん(65)は、50歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。それまでは映像関係の仕事で忙しく働いていましたが、約束したこと自体を忘れたり、車で出勤したのに電車で帰ってくるなどミスが増えたことで病を疑うことになったようです。
妻・京子さん(53)が認知症の進行を遅らせるためにと郊外に引っ越すことを決断し、家族は緑豊かな陸沢町に引っ越したのです。それから15年が過ぎ、当初は緩やかな進行でとどまっていた佳秀さんの病はここにきて急激に進行。トイレも自分一人ではできなくなりました。父の家族の記憶は日々薄れていく―――。

息子の大介さんは17歳になり、農業高校に通い勉強に励んでいます。
大介さんは物心つく頃から若年性アルツハイマー型認知症と戦う父とともに暮らし、自然に『ヤングケアラー』となりました。

ヤングケアラーとは

親や祖父母、兄弟姉妹の介護を担う18歳以下の若者のこと。高齢になったり、認知症などの病や障害などにより、介護が必要な家族がいる場合、大人だけでは手が足りず、自然に介護を始める子供が多い。このような経過でヤングケアラーとなるケースが多い為、本人は自信が『ヤングケアラー』であるという認識もない場合がほとんど。

父の介護が当たり前だった大介さん

京子さんは、知人との会話の流れで、大介さんに「二十歳になったら家を出ないとね」と言ったことがありました。その際、大介さんは「え?出ていいの?」と答えたと言います。自然とヤングケアラーとなった大介さんにとって、自分は当たり前に父を介護しなければならない存在だったのです。

普段は優しいが、突然怒り出す父

画面に映る佳秀さんは、物腰柔らかで、いつもニコニコしています。
記憶が薄れ、できないことが増えた今でも、家族を気にかける佳秀さん。料理をする京子さんに「大変だな」と声を掛けます。

しかし、穏やかな時ばかりではありません。ただ、座っている椅子を引いて場所を空けて欲しいだけなのに、なぜか声を荒げて怒り出します。これも認知症の症状で、感情のコントロールが上手くいかない為に起こるのです。

佳秀さんは『優しい悪魔』

普段はニコニコしていて、突然怒り出す佳秀さん。会話は成り立たず、家の中を歩き回ったかと思うと目を離したすきに外に出てしまい行方不明になったことも。日常生活は全面的に介護が必要。そんな佳秀さんを、京子さんは『優しい悪魔』と表現します。

眠りについてもらうのも一苦労

ある日、父を眠りにつかせる担当は息子の大介さんでした。大介さんは父を寝室に連れて行きます。階段を上る際も気が抜けません。
そして、自身が先に横になり、「ほら、ここ」と父を誘導します。しかし、父は立ったまま、横になろうとしません。『寝る』ということがわからないのです。そんな父を見ても大介さんは慌てる様子も怒る様子も全くなく、落ち着いて誘導を継続していました。そして、しばらくして父は大介さんの隣で仰向けに横になりました。大介さんはすぐに立ち上がり、リビングに降りていきました。佳秀さんはすぐに眠りにつきました。
大介さんは「今日は早かった」と、上手くいったことを伝えていました。

認知症の介護は限界を迎え『施設に入れる』ことを悩み始める

2021年夏、京子さんは佳秀さんの介護に限界を感じ、施設に入れることを考え始めます。
町役場の人や、施設の職員と話し合いを重ねる京子さん。
しかし、佳秀さんは毎日家族と顔を合わせることで、ぎりぎりで家族の記憶を保っている状態。施設に入れば家族の記憶を無くしてしまうかもしれない。認知症がさらに急激に悪化するかもしれない。そんな思いが京子さんを悩ませます。
それでも、ついに施設への入所を決めることになります。
決断の日、一度町役場には断りを入れたといいます。それほどまでに悩んでいた京子さん。目に浮かぶ涙が複雑な心境を表していました。

大介さんは何度も「しょうがない」と言った

京子さんは大介さんになかなか施設への入所を言い出せなかったが、ある日意を決して伝えると、大介さんは「しょうがないよ。しょうがない。」と何度も「しょうがない」と言いました。

大介さんが部屋で一人の時も、「しょうがない。母ちゃんが限界だった」と母を気遣いました。「施設にいったら今の様に会話はできなくなる。バカになっちゃうでしょ…」と父を心配する大介さん。

大介さんの記憶の中の父は、いつも近くにいて笑ってくれていました。中学1年生の時にテニスを教えてくれたことを覚えている。「あの時は父ちゃんがまだ父ちゃんだった」。
2021年になった今、「大ちゃん」と呼んでくれることもない。

施設に入所した父の様子

入所の日、家族は車に乗り込み、京子さんの運転で施設に向かいました。車内でも父佳秀さんは終始ニコニコ。家族と離れることなど全くわかっていない様子です。その父を見ながら京子さんも、大介さんも目に涙を浮かべ、辛い表情をしていました。大介さんは父の方に手を乗せ、カーステレオから流れる曲に「十八番だったんでしょ?」と歌うことを促していました。しかし、父は歌うことはできません。ただ、ニコニコしているだけした。

長南長にある『ほしのさと』に入所した佳秀さん。この施設では、コロナやインフルエンザの感染予防のため、11月~4月は家族で会っても面会できないそうです。
入所後に送られてきた映像には、楽しそうに阿波踊りを踊る父佳秀さんの姿が映っていました。

いつか一緒に暮らす家を

大介さんは将来農家になり、父も一緒に家族で暮らしたいと話しました。
希望していた造園会社への就職を決め、働き始めたそうです。